一寸前から組体操共々、色々言われている学校の部活です。
まぁ、私も色々思っているんですけれどネ。以前このブログにも書いた通り、学校の先生が部活の顧問をする事そのものが誤りだと思うって。
読んでいると、コレ、やり過ぎなんですよね。スパルタ。熱出して寝込んでいるのに合宿への参加、とか、一人遅刻しただけで、全員の丸刈りの連帯責任とか…(因みに私ちふれ、この連帯責任ってやつ嫌いです。まるで江戸時代の五人組みたい。遅刻の責任はあくまで個人!ですよ)
ここで出て来る『上級生が出て来るまで、下級生はボールに触ってはいけない』の好きじゃない。何で稽古しちゃいけないの???理不尽に慣れるため???別にそんなところで理不尽に耐えなくても、会社組織で耐えられますって。
私なんか、先輩がいない処で後輩は、先輩の10倍一生懸命稽古して、実力で先輩を置い越すべしって思うけれどネ。先輩には頭は下げても、実力は平等でいい。先輩後輩の上下関係より、部活で鍛えなければならない事って“成功体験”と“失敗体験”だとて思うんですよ。
10代に何かに打ち込むって言うのは経験として決して悪くありません。私自分がそうだから言うのではないけれど。
困難に立ち向かい、最初は自分ではとても不可能と思った事が、訓練と努力で可能になる。これは部活だけではありません。勉強もそう。某東大大学院生が言ってましたね。
「確かに受験勉強なんて何の役にも立たない。実社会では何も力にならないだろう。だけど、僕が受験勉強で覚えたことがある。それは、とても最初はハードルが高い。不可能と思えた事でも努力と訓練と忍耐によって可能である、と言う事を学んだ」
これ、その通りですね。因みに私ちふれがクラシックピアニストを目指した時に学んだ事も正しくそれでした。
最初は歯が立たない、弾けないと思う曲でもでも、毎日の練習によって、弾けるようになるんですよ。それを学ぶ。
但し、ちゃんと弾けるようになるには、“教え方の上手な先生の指導”が不可欠ですが。部活動も同じ。
先生の教え方なんです。要するに、具体的な指導をせずに、理不尽だけ感じさせるって一番やり方がまずい。
厳しいスパルタながらも、ちゃんと教えて、ちゃんと説明するんですよ。正座なんてさせている時間が勿体ない!です。かけただけの努力と忍耐の正比例した見返り(この場合、本人の実力)は欲しいと私は思っているので。
ムダな努力、ムダな忍耐、ただただ理不尽に耐えるだけの時間…こんな虚しいものはありません、これが“ブラック”に通じると思うんですが。
実力の向上を伴わないスパルタ、ヘタなままでも根性を鍛えるだけのスパルタ…これこそがブラックなんです。
レベルの低い根性論だけでちゃんと指導しないのが一番いけないと思いますよね。
ちふれより
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