またまた、実に痛ましい、凄惨な事件が起きました。
言葉もありません。
犯人と目される人物は、50代男性の引きこもり気味だったとか。
恐らく、人生追い詰められていたと思います。
養育者代わりの叔父夫婦が高齢になり、、叔父夫婦が無くなったら生活はどうするのか?
その挙句の道連れ自殺、凶行なんだろうな、とは想像がつきます。
道連れに選んだのが、カリタス学園の子供たち。
富裕層の恵まれた階級のお嬢さんたちで…、ヤッカミがあったんでしょうね。
この事件で、様々な憶測、ネット民の犯人(と思われる相手)に対する憎悪の声が飛び交う中、カリタス出身のライター飯島裕子さんのこんな記事を読みました。
この記事が一番、心を打たれました。
筆者の飯島さんは、『お祈りやボランティアをする暇があったら、他人を疑い、不審者を見分ける術を身に付けるべきだったのか?』
それはカリタスの教育方針ではない、と言いたかったのでしょう。
実は、私も飯島さん同様、キリスト教のミッションスクール出身です。
中高6年間、S学園という女子校で、キリスト教の教えを受けました。
キリスト教は『隣人を愛せ』『汝の敵を愛せ』と教えます。
そしても『人は罪を背負っている』『世の罪を背負って身代わりにイエズス様(キリスト)は十字架に架けられた』とも…。
この事件があっても、『汝の敵を愛せ』、出来るのか?
唯、犯人(と目される人物)の凶行に至った心は思いやることが出来ます。
その孤独感も…。
この犯人に必要だったのは、『神の救い』だったと思います。
その孤独感をいやす『神の救い』…。
キリスト教作家の遠藤周作氏は、神を、『人生の同伴者』と呼んでいます。
世の中で、他の誰もが、自分に対して無理解でも、神さまだけは、解って下さる、理解して下さる…。
だから祈る…、神様が傍に居て下さるから。
神様は絶対に自分を見捨てたりしない、その気持ちです。
最後になりましたが、この事件で、亡くなられたカリタスのお嬢さま、保護者のお父さまのご冥福をお祈りするとともに、お怪我をされた被害者の方々の一刻も早いご回復をお祈りし、お気持ちの安らぎを取り戻されるよう、お祈りいたします。
ちふれより