数年前、部屋の片づけとと同時に持ち物を断捨離し、結構大量の私物がゴミ(!?)と化しました。
衣類もそうですが、日用雑貨品、文房具、アクセサリー…etc.
まだ使えるのに、とか、キレイなものもありましたし、未使用のものもありました。
これらをゴミとして処分するのに忍びなく、不用品の寄付とさせて頂きました。
ちふれが寄付した処
未使用のノートなぞ、ホントにゴミ処分するのに、心苦しいですから。
発展途上国のお子さん達の学用品にでも用立てて頂ければ、とても嬉しいですしね。
が…このワールドギフトもそうですが、寄付するのにも送料がかかります。
この時、“不用品を処分するのにもお金(コスト)がかかる”と言う事を痛感しました。
そりゃ、自治体の古紙回収にでも出せばタダかもしれませんが…心苦しいですしね。
それ以来、“モノを持つ事”、“モノを買う事”にも以前よりも慎重になりました。
例え、古着一枚でも、処分するのはラクではありません。
それを私は身をもって覚えたんです。
そして、モノはそれ自体、使い切る事、衣類は着尽くす事、を心掛けてます。
衣類は少々くたびれても、ほつれても、着用不能になるまで、着尽くす…それがモノの使命を全うするという事。
それこそ、明治時代あたりの昔の人は(衣服は高価だったので)衣類を新調する、と言う事そのものが一生に何回かしかなかったようです。
そして、一着新調すると、何十年も着用しており、親から子へと受け継がれる着物もあったよう。
お振袖なんかも、母から娘へと受け継がれる訳です。
そういえば、実家の亡き祖母の箪笥の中に、未だ着物があるようで…正直、私は頭が痛い(苦笑)
今では考えられない話ですよね。こんなの…。
モノが、大量生産、大量消費される以前の話です。
今の時代、そこまでする必要は無いでしょうが、モノの使命、モノの寿命は全うする事が大事なんじゃないかな?
モノを買うのはラクです。ラクで楽しい部分がある。
が…モノを処分するのは大変なんです。
それが解れば、気軽にモノを買う気にならなくなります。
自動的にシンプルライフ、ミニマリストを心掛けるようになりますね。
ちふれより