なんです。
私は“人と同じ”“他人と同じ”という感覚が嫌いです。
何故なら…人は一人ひとり違うから。
だから『他人と自分とを比べる』事はしません。
人生だって私は人と比べないです。
無論、音楽家として、プロとして、(大勢ライバルがいる中で)同業者と自分とを比べるし、優れていると思われる人を手本に見習う事はします。
腕と技術は比べます。それが、修行に繋がるから。
比べるのはそれ位です。
他人が持っているモノでも、私は持ちません。
『みんな持っているから』『誰々さんが持っているから』『みんなやってるから』…etc.
そんな理由で『私も持つ』『私もやる』事はしないです。
コレって、見栄なんです。
特に持ち物は、見栄に繋がる。
アメリカ流資本主義の大量生産、大量消費…コレは、人間の“見栄”を武器にしてます。
そう、資本主義って、見栄が無ければ成り立たないです。
一歩外に出れば、スーパーやコンビニ、デパート…資本主義のワナはあちこちに張り巡らされてます。
おカネを使うよう、仕向けられるんですよ。
無警戒に世に中に出ると…。
スーパーやデパート、ショッピングセンターは、いかにも『コレってオシャレでしょう』と言う風に、商品をディスプレイしますし。
時には、”オマケ””景品”もついてきますし…これも邪魔になる。
オマケって要らないと思います。
『皆と同じでなければならない』『皆から外れてはならない』この感覚は、人生、何処か転落します。
そう、『皆から外れた』時に…。
以前、貧困問題で、母子家庭のお母さんが、13歳の娘を絞殺した事件がありました。
あのお母さん、ホント、凄い見栄張ってるのね。
生活苦しいのに『娘が学校でお友達から仲間外れになったら可哀想』と言う理由で、娘のアイドルの追っかけの為のお金、出してるし…。
娘の中学入学の制服の購入を借金してる。
ああいうのって、卒業生の”お下がり”で良いのに…。
きっと『お下がりの中古品では、クラス内で娘が一人、可哀想』と言う理由でしょうけれど。
これまた『みんなと一緒』感覚です。
ホント、このお母さん、『みんなからの仲間外れ』を怖がってる。
なんでそんなに怖がるの?って思います。
生活苦しいのに、アイドルの追っかけなんてやってるヒマ、無いはずなんですよ。
制服だって知恵を絞って、お金使わずに調達する方法を考えるべき。
『ウチは母子家庭で、ウチにはそんなお金はない』と娘に言い聞かせるべきなんですよ。
そして、『まずは貧困から抜け出せ』
対照的なのが、タレントのビートたけしの”お母ちゃん”
『菊次郎とさき』の北野さきさんです。
さきさんってホント、エライですよ。
『ウチには余計なお金はない』と少年のたけしさんに言い聞かせ、野球の遊びのグローブが、(革のは買えないから)さきさんお手製の”布製グローブ”
この精神なんです。
北野さきさんは徹底的に”ウチは余所とは違う”精神だったみたいです。
見栄も張りませんし、ココに資本主義は無いです。
やたらとモノを買う精神もありません。
見栄は大敵なんです。
ちふれより