フジコ・ヘミングって良いピアニストだと思います。
あの演奏スタイル、丁寧な響き、アレは今の時代になくなった感じ。
少なくとも、 国際コンクール等で、“技術一辺倒”“テクニック最優先”で出て来た人とは違うと思う。
今の時代、クラシックのコンクールでも、音大の試験でもなんでもそうですが、技術最優先なんですよね。
まずはテクニック!とばかりに、ひたすら機械的にレッスンで詰め込まれるんですよ。
私自身も…多分、結構詰め込まれた、と思う。
それが悪いと言っているのではないですよ。技術テクニックは大事だし、コンクールや音大の試験は、ある程度“公平さ”、“公正さ”、“客観的”、“中立的”が必要だし…。
芸術や文化なんてものは、究極的には“客観的評価”なぞ下せない訳。だからこそ、最初は必要です。
その意味で言えば、フジコさん、決して『上手な人』ではないです。
結構ミスタッチやら、音を外したり(指が)滑ったり…してはいけない事、やってたりします。
指が早く回るテクニックだって、決してそんなに早くは回らない。
でも、でも…と思います。
音楽は、それだけじゃない、と思う。
フジコさんて一言で言えば
『決して上手なピアニストではないけれど、とても良い演奏をするピアニスト』
『味のあるピアニスト』なんです。
彼女のリスト…深い、味のある演奏です。
彼女の『ラ・カンパネラ』とっても良いもの…。
フジコさんの演奏するショパンやリスト…とても味があります。
正直、私、フジコさんにレッスンを受けたいですよ、ホント。
レッスンじゃないかな?私の演奏の“批評”が欲しい。
テクニックは私、自分で練習します。自分で出来る、と思う。
が、フジコさんの“曲の解釈”を聞きたい。
一言で言えば、フジコさん、凄く勿体ない訳。
あれだけ良いもの、自分の音楽、と言うモノを持っていながら…テクニックが足りないのが、凄く残念。
聴いていて、切ないし、(演奏も、フジコさん自身も)可哀想になってしまう。
音のミスタッチが『あ~、勿体ないなぁ…』なんですよ。
聴いていて、こっちが悲しくなる。
私の技術テクニック、少し分けてあげたくなります。
彼女が弾けないトコ、私、弾けるから…。
でも…演奏は、凄く老練な訳。
ショパンもリストも、とても老練な演奏です。
流石、人生の晩年に入った方の演奏です。
フジコさん、伊達に年取ってません。
フジコさんのリストを聞いて、二十数年前と思われるロシアのエフゲニー・キーシンの演奏は、まだ若い(笑)
今のキーシンの演奏は、大人になってますが。
それに、フジコさん、あの年であれだけ弾くのって偉いとも思います。
ピアノを弾くって体力要るんですよ。特に、技術力が必要なクラシックは、体力勝負。
結構老大家と言われるピアニストでも、晩年はボケたと思われる演奏をしていたり…。
フジコさん、それが無いもの。ピアニストとして、エライ、立派!
出来るだけ長生きして、良い演奏を聴かせて下さい、フジコさん。
ちふれより