こうして、一度大恥をかいた私ちふれ、しばらく『もうシャンソン何て、見るのもイヤ!』状態でした。
が、これでシャンソンでピアノ伴奏に使う、という事が解った訳。
数ヶ月後、音楽業界手帳を片手に、某シャンソニエに電話しました。
「そちらはシャンソンをメインにしているライブハウスと聞きました。実は私、シャンソンの伴奏で大恥をかいて…そちらに出ている歌手さんで、駆け出しの方で私にシャンソンの伴奏の経験を積ませて頂け歌手さんはいませんか?」
「シャンソンの伴奏の経験が積みたいんです」
新宿の『シャンパーニュ』と言うお店でした。実はシャンソンの中では老舗で,訳詞家の矢田部道一(ムッシュー矢田部)のお店でした。
ムッシューは快く
「じゃあウチでシャンソン教室をやってますから見学にいらっしゃい」と仰って下さり、私は『シャンパーニュ』の門を叩きました。
そこでシャンソン歌手さんだった岩崎桃子さんの知り合いました。
たまたま桃子さんがボランティアで出演するステージがあり、伴奏ピアニストを探している時でした。
そして、そのボランティアのステージ、そして引き続きたまたま彼女に来たカルチャーセンターのボイストレーニング教室の伴奏者…と続き、シャンソンの世界での伴奏ピアニスト経験が積めたのです。
と言ってもそう簡単ではありませんでしたが(苦笑)
そしてシャンソン以外にも、ホテルのラウンジピアニストとか、大阪のジョン・レノン(ビートルズね!)のイベント出演…等、兎に角、ポップスの世界で(ズッコケズッコケしながら…笑)ピアニストとしての仕事をこなし始めました。
岩崎桃子さんは丁度“パリ祭”若手歌手として毎年連続出演してました。
とても厳しいと言われる深緑夏代先生の門下生の方で“10年修行、下積みをした”のをシャンソンの大御所、石井好子先生に買われ、石井先生の“秘蔵っ子”です。
桃子さんには色々と世話になりました。
時には「私、今日は真理子さんのプロデューサーだから!」なんて発言も…。
面倒を見て貰って記憶があり、とても恩義を感じています。
ちふれより