最近の学校の部活問題を見ていてつくづく思うんですが、
『体育会系の部活動の目的って何だろう???』です。
野球部なり、サッカー部なり、テニス部なり…みんな、スポーツ自体の上達、腕が上がる事よりも、
『体育会系部活動の先輩、後輩を代表に見るようなタテ社会、上意下達に慣れ親しむ事』
が、目的化している感じがします。
早い話が、スポーツ自体の上達、腕が上がる事はどうでも良い訳。
それどころか、学校の運動部の稽古トレーニングを見ていると、
『腕は(稽古の割には)上がらない方が良く、兎に角、先輩後輩の上意下達、タテ社会、封建的な体育会系的ハングリー精神に慣れる事』
が、目的の気がします。
もしそうだとしたら…企業社会が体育会系出身者を好むのも、大いに納得。
なまじっか、体育会系出身で、スポーツ自体の腕が上がっちゃうと、本人が自分に自信が付き、
『やればできる!腕が上がる!』となっちゃう訳。
これは、一部企業社会では好まれない傾向です。何故なら本人にプライドが出て来ちゃうから…。
企業社会で、なまじっか”腕に覚えアリ””一芸に秀でる”は好まれない事は前述のとおり。
関連記事です。
web記事【仕事で自己実現を目指してはいけない「サラリーマン」という身分】を読んで…
企業社会に生きる者にとって、一芸に秀でた、取柄や特技のある、スペシャリストは敬遠される傾向にあるからです。
その意味で言えば、学校の運動部の体育会系出身者は
『学生時代、スポーツ(野球、サッカー、バスケ、テニス等)に打ち込みました。残念ながら、(才能が無くて)技術的には大したレベルにはなりませんでしたが、スポーツ特有の体育会系的ハングリー精神、上のものには絶対服従で封建的なタフ精神には溢れております。この精神は企業社会で非常に使いものになります』
と言うのが一番好まれます。
私、これ、一番キライ、大嫌いな発想なんですけれどネ。
だって運動部の稽古トレーニングが全く以って”ムダな努力”だから。
スポーツやるんでしょ!?だったらまず、スポーツの腕が上がらなければ、意味ないじゃないですか!?
『体育会系的ハングリー精神』!?そんなものは後から付いてくるものです!!
腕が付けば自然に身に付くの!!
自然に身に付く、本来なら副次的なものが目的化してはいけない、と思います。
先輩・後輩も無用。
あんなもの、要らない!ですよ、ハッキリ言って…。
私から見たら、『そんなくだらないものに気を使っている暇があったら、少しでも腕が上がる様に稽古しなさい』と言うの!
スポーツの腕が上がる、上がらないははっきり言って稽古方法です。
ある程度、良質のトレーニングを積めば、誰でも腕が上がります。
良き指導者と良き指導方法なんですよ。
大体、スポーツで勝つ事、腕が上がる事って結構頭使いますよ。
ハッキリ言ってハングリー精神だけではダメ。
体育会系精神だけでは勝てません。
野球見ていても、サッカーのワールドカップも、相撲も、み~んな、『頭』使います。
勝つための作戦を練る訳。
スポーツもバカじゃ出来ないんです。
最小の努力と労力で最大の効果を上げる、これが勝つための極意。
レベルの低い体育会系って頭使わないんですよ。
タフなハングリー精神だけを要求する。
これで勝てますか?って感じ。
が、企業社会では『やればできる』と自信が付いた人間は、『要らざるプライド』として排除されます。
プライドあると営業出来ないし…ね。
頭下げられない人間は困る訳です。
ホント、企業社会が体育会系出身者を好む論理って…呆れ果てるだけですね。
ちふれより