またまた学校の部活問題です…。

この記事についてです。

「ブラック部活動が企業戦士を生む」学生時代の根性論がもたらす日本のいびつな働き方

あの…、私は十代、学校が某女子校で、決して部活が“強制”じゃなかったので、想像できないんですが、部活自体が“強制”ってあるんですって???

ちょっと、それはおかしいですよね、うん。

部活自体は入退部は“自由”であるべきですよ、うん。

部活って課外の“各種お稽古ごと教室”のようなものなので。但し、一旦入部したらそこのルールに従うべきですが。

私は10代、(あくまで趣味で)水泳教室に通っていましたが、辞めるのは自由でした。そこの教室は結構実力ある先生で(近くのスイミングスクールの中には“学生アルバイト”程度に教えさせている所もありました、トーゼン、何も教えてくれません)結構スパルタ、だが“付いていけば”上手になれる処でした。

スパルタでしたが、教え方の上手な所だったんです。これはウチの親の“教育方針”に合う。ピアノと一緒です。

私自身も好きでしたね。何故なら“上手になるから”。

泳げない屈辱感から解放される訳ですよ。これは楽しい。充実感もある。

スパルタ、と言うのは虐待と違うんですよ。出来ない事が出来るようになる楽しさ、と言う事がある。厳しくても“今まで出来なかった事が、厳しい訓練と鍛錬で出来るようになる”と言うのは充実感が味わえる。

但し…精神論一本槍の厳しさ、と言うのはダメです。“根性を鍛える”とかね。指導者がそれを言ってはダメ。

指導者は、まずは具体的に“腕を鍛える”んですよ。根性はその後。腕を鍛えれば、根性なんてその後に付いてきます。

根性を持ち出すのはヤクザの論理。まともなカタギじゃない。

“実力のつかないムダな稽古や努力”ほど虚しいものはありません。

レベルの低い体育会系ってダメなんですよ。根性論一本槍なんです。

あと…くだらない“先輩主義”

一学年でも上だと先輩が絶対って感覚、おかしいと思う。もっと実力主義を取り入れるべきですよ。

出来の悪い先輩なんて、さっさと(実力で)追い越せばいい。

会社の“年功序列”と一緒なんですよね。

お稽古教室に“先輩主義”なんてありません。年上も年下も一緒。

この辺は“各種教室”“各種学校”を見習って欲しいですよね~。

ちふれより




体育会系出身者について?

前回書いた、『ブラック部活』に繋がる話だと思うんですけれど…。

興味深い発言記事を見ました。【野球部出身者は「十中八九クソ野郎」? マツコ、メディア業界人に過激持論】

野球部出身はクソ野郎…マツコ・デラックス発言

あのー、結構マツコ・デラックスさんって鋭い処突くんですよ。時々、凄くまっとうな感覚ある。彼女(ですよね?確か女性…?)以前にも、『体育会系出身者って35歳過ぎたら潰れる』発言をしましたし。

これ、極端って言うか、多分、彼女の知っている業界の体育会系(過労死問題出した電通とか)の人達が特にそうだと思うんですけれど。要するに彼ら体育会系って

「頑張れば出来る!!!」一本槍なんですよ。仕事でも何でも、上手くいかない原因(営業だったら営業成績、売り上げとか)を理性と頭で判断しようとしない。気力と根性一本槍。これって限界ありますよね。

まるで太平洋戦争中の日本、です。『為せば成る』とか『欲しがりません、勝つまでは』とか…ね。やれば出来る!でひたすら頑張ることばかり要求される(要求する)

こういった人が上司になった場合、“ブラック上司”になる訳。だからマツコ・デラックス曰く“クソ野郎”なんです。

体育会系って確かに限界ある。確かに新入社員や、部下としてならば、上司は使い易いですよ。上の言う事には絶対服従で、絶対に盾突かない忠犬ハチ公ですから(笑)

だから新人の頃ならば上の受けは良い訳。就活でも、企業で採用したがる面接官はいると思う。上司からは可愛がられやすいタイプです。

でもね…

仕事でも組織でも、新人~中堅、ベテランの域に達すると弊害も出てくるんです。会社や上司、上の言う事には絶対服従。でも、それ以上が無い。そして部下には自分と同じ“ハングリー精神と自分に対しての絶対服従”のみを要求する。だから部下の提案も素直に受け入れられない(自分に対する反抗、と取るから)

新しい発想や企画、新商品の開発なんてものは不向きなんです。なぜなら自分でモノを考えないから。会社や上司に自分のアイデアを提案する、何て事はしたがらない。それは“会社に反抗する”と考えがちなんですよ。こういうタイプは。

だから言われた事をやるだけ。要するにロボットです。今の時代、ロボットなら人工知能で充分!ですよね。

顧客のニーズを感じ取り、自分なりにかみ砕いて理解して、新しい提案をするって大事なのに。要するに“身体ばっかりで頭が無い”訳。判断力が無いんです。

電通なんてこんなタイプ、うようよいるんじゃないかな?過労死した東大卒の女の子の上司だってこんなタイプじゃないかなって思ったりする。

体育会系一本槍って言うのは限界ある、て思う。人間、頭と身体、両方大事なんですよ。

ちふれより

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学校の部活動のブラック化って???

一寸前から組体操共々、色々言われている学校の部活です。

ブラック部活が賛否を呼んでいる

まぁ、私も色々思っているんですけれどネ。以前このブログにも書いた通り、学校の先生が部活の顧問をする事そのものが誤りだと思うって。

学校の組体操や部活動について

読んでいると、コレ、やり過ぎなんですよね。スパルタ。熱出して寝込んでいるのに合宿への参加、とか、一人遅刻しただけで、全員の丸刈りの連帯責任とか…(因みに私ちふれ、この連帯責任ってやつ嫌いです。まるで江戸時代の五人組みたい。遅刻の責任はあくまで個人!ですよ)

ここで出て来る『上級生が出て来るまで、下級生はボールに触ってはいけない』の好きじゃない。何で稽古しちゃいけないの???理不尽に慣れるため???別にそんなところで理不尽に耐えなくても、会社組織で耐えられますって。

私なんか、先輩がいない処で後輩は、先輩の10倍一生懸命稽古して、実力で先輩を置い越すべしって思うけれどネ。先輩には頭は下げても、実力は平等でいい。先輩後輩の上下関係より、部活で鍛えなければならない事って“成功体験”と“失敗体験”だとて思うんですよ。

10代に何かに打ち込むって言うのは経験として決して悪くありません。私自分がそうだから言うのではないけれど。

困難に立ち向かい、最初は自分ではとても不可能と思った事が、訓練と努力で可能になる。これは部活だけではありません。勉強もそう。某東大大学院生が言ってましたね。

「確かに受験勉強なんて何の役にも立たない。実社会では何も力にならないだろう。だけど、僕が受験勉強で覚えたことがある。それは、とても最初はハードルが高い。不可能と思えた事でも努力と訓練と忍耐によって可能である、と言う事を学んだ」

これ、その通りですね。因みに私ちふれがクラシックピアニストを目指した時に学んだ事も正しくそれでした。

最初は歯が立たない、弾けないと思う曲でもでも、毎日の練習によって、弾けるようになるんですよ。それを学ぶ。

但し、ちゃんと弾けるようになるには、“教え方の上手な先生の指導”が不可欠ですが。部活動も同じ。

先生の教え方なんです。要するに、具体的な指導をせずに、理不尽だけ感じさせるって一番やり方がまずい。

厳しいスパルタながらも、ちゃんと教えて、ちゃんと説明するんですよ。正座なんてさせている時間が勿体ない!です。かけただけの努力と忍耐の正比例した見返り(この場合、本人の実力)は欲しいと私は思っているので。

ムダな努力、ムダな忍耐、ただただ理不尽に耐えるだけの時間…こんな虚しいものはありません、これが“ブラック”に通じると思うんですが。

実力の向上を伴わないスパルタ、ヘタなままでも根性を鍛えるだけのスパルタ…これこそがブラックなんです。

レベルの低い根性論だけでちゃんと指導しないのが一番いけないと思いますよね。

ちふれより

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学校の組体操や部活動について

この記事読みました。

組体操中止、中学の3割

これ、前から言われていますね。部活動(特に運動部)も含めてですが。

あのー、ホントに前から不思議に思っていたんですけれど、こういう危険な事させるのに、指導が学校の教職員の先生方のみだけなんですよ。何で??って感じ。

部活動(特に運動部)も含めてですが、教職員の先生方とは別に、プロのコーチ、指導員を(臨時的にしろ)外から頼むべき。例えコストがかかっても、です。そこにはコストをかけるべきなんです。

組体操だったら、元体操選手みたいな人。こういう人は、こういう指導にかけては、プロなんです。プロの力、ナメちゃいけない。

素人の学校の先生方では到底、手に届かない様な、キメ細かな、実力のある、頼もしい教え方をしますよ。だってプロだもん。

素人では指導や稽古がが危なっかしいんです。ましてやケガがつきもののスポーツです。プロは稽古中のケガの応急処置だって、見事なモノなんです。経験則で知ってる。

ケガした時、どうすれば良いか、解っているんです。素人さんでは知らない。

部活動も同様。野球部もサッカーもバスケ部もバレー部も、みんな、学校サイドでプロのコーチを別に依頼すべき。彼らなら安定した指導をするんです。

と思っていたら、私の知人の某首都圏私学女子高の学校の先生は

「ウチの学校は部活動の顧問は教職員とは別に、外部の先生を雇っているの。だって私達ではちゃんとした指導、出来ないもの。ウチはそれがウリになってるわ(笑)」と仰ってました。“ウリになってる”事はともかく、ワタクシ正しく、“我が意を得たり”ですよ。それが一番正しい!

教育費と言うのは、かけるべき処にはきちんとかけるんです。だからちゃんとした教育が出来る。制服とか、教材のお裁縫セットや、彫刻刀なんてものは、生徒の家庭に買わせる必要なんて全くないけれど(ムダなコストの代表、学校の備品で良い)、そういう側面はきちんとかけて欲しい。

もしも、公立校で、経済的な事情で、出来なければ、無理に部活動なんてする必要、全く無いんです。組体操も同様。何も学校でスポーツしなくとも、各家庭で近所のスポーツクラブに通ったり、スポーツサークルに入ることは可能。例え、教職員の先生方が顧問の場合には、体育会系の部活の練習は、“ケガしない程度にほどほどに”です。ケガした時の責任が取れない訳ですから。

プロは力が違う、と思ったのは、私が通っていた以前のバレエ教室の先生を見てなんですよ。バレエ教室の発表会があり、ワタクシちふれも(恥を忍んで!?)参加…したら、リハーサル中に同じクラスの人が、ジャンプをしたはずみに転倒。その時の先生の対処の仕方が見事だったんです。先生はプロのバレエダンサーです。

先生は全く慌てず、転倒した生徒を椅子に座らせ、洗面器に氷水を張って足を漬けさせて

「あなたは稽古は今日はここまで、明日、整形外科に行ってください」と一言。翌週、彼女は何と松葉杖で来ました。足首捻挫との事。彼女は

「病院に行ったらね、“バレエ!?とんでもありません!”って言われちゃった」と苦笑しました。結局、彼女は発表会は出られず、です。

これがプロの力なんです。

餅は餅屋、で組体操や、部活動の指導は、プロに頼んだ方が良いんですよ。

ちふれより

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教育費について…続々編です。

前回、『中堅クラス以下の大学は専門学校化し、パンキョーや語学の授業を無くすことで学費削減できる』と書きました。

今回はその続きです。大学院の事です。

まぁ社会的に肩書が取りたい学部卒と違い、大学院って…無理して行くところなの???特に文系。

あのー、『大学や大学院で研究、学んだ事を仕事の実地に生かせない』事って最早、ジョーシキだと思うんですけれど(笑)それなのに、何故???

進学しても『それが仕事に生かせない』事は覚悟して進学すべき。特に文系は。

理系も大学で学んだ事をそのまま実地に活かせる事は少ないみたい。私の友人、知人関係を見回しても、理系の人は『一般の素人さん、ちふれさん的に言えば、私は今も理系の仕事で、仕事に生かせていると言えるんだけれど、私としては専門は活かせてない。全然畑違いな訳』だそうです。

私ちふれの感覚で言えば、私音大のピアノ科出たんだけれど、ピアニストではなく、歌手の仕事をする感じかな??一般の素人さん的に言えば、

「音大出たんだし、ピアノ科も声楽科も似たりよったり」なのかもしれないけれど、私ちふれとしては全然違いますね。歌なんてホンのソルフェージュ、音大入試の時のコールユーブンゲンとか、学部三年時の副科声楽でイタリア歌曲を齧った程度だもん。私の歌唱力なんて

『音程正しく、アカペラで歌う』位しか出来ませんよ。ホント。発声、ボイトレ…なんてやってませんし。でも案外、『人がいないから』と言う理由でバックコーラスとかやらされる事もあります。合唱の伴奏の仕事で指揮の先生がお休み時は、私が先生役でしたしね。

少し、歌も勉強するかな???と思ってます。仕事の枠を広げるためにね。

ある程度、専門を生かせる、と言われる世界でもこの程度。ましてや専門が生かせない場合は…かなり厳しいと思いますね。

それでも仕事に生かせなくとも学問を学びたい、と思ったとしたら???少なくとも『奨学金で借金してまで、進学する必要はない』と思います。人生、きついよ、はっきり言って…。

そりゃー、イギリスのドラマ『ダウントン・アビー』のグランサム伯爵令嬢なら良いですよ。ああいう方々ならば、『非実用の御教養』学ぶべきなんです。グランサム伯爵一家は実用、実地の世界に生きていない。領地の上がりから生活してます。そうでなければ???

私、無理して大学院に進学するのでなく、師事したい先生、の所にゲリラ的に連絡し、『押し掛け弟子』になれば?と思います。プライベートで弟子になるんです。

これ実は、音大卒業生がほとんどやってる。まぁゲリラ的に押し掛けではないけれど、音大時代に師事した実技、主科の先生のご自宅へ、ホームレッスンに行きます。一回数千円~1、2万のレッスン料を払って。

私も恩師、三津橋文子先生の所に卒業後、一ヶ月に一回のペースで先生のご自宅に通っていました。一回13000円だったかな???三津橋先生は実力ある先生だったから、決して安くはありませんでしたが、それなりの内容の濃い、充実したレッスンでした(こんな事、書いていいのか???)から、高いとも思いませんでしたね。

その後、武蔵野音大の特修科に進み、ハンガリー人の先生、エルジェーベト・トゥーシャ先生の門下に入りました。トゥーシャ先生は、ハンガリーのリスト音楽院の元教授先生で、ジュネーヴ国際音楽コンクールの二位か三位の方。同じ門下に、母校武蔵野音大の学長先生の御子息、福井直昭氏がいました。

福井直昭氏は次期学長予定です。何せ、福井一族経営の学校ですしね~。

特修科終了後も、数ヶ月はトゥーシャ先生のご自宅にレッスンに伺ってました。少なくとも、『正規の大学院』に進むよりははるかに経済的です。院卒の肩書は取れないけれどね。

まぁ私の場合、母校の院に進学したくとも、まずは入れるかどうかわかりません。結構激戦でしたし(100名前後受験して10数名しか合格しない)ね。

フツーの文系の学問の場合、理系みたいに研究室とか、実験室、薬品や機械は不要な訳ですよ。物理的なコストのかかる道具は無い。ノートとペンで学べると思います。これってね…

『大学院に進学したいけれど、経済的にキツイ。従って肩書は学部卒業で終わりますが、引き続き先生の処で学びたいので、大学院の先生の研究室に潜り込んで良いですか?』と交渉するのも手だと思います。先生の研究室に潜り込んじゃう訳です。無論、学費は払わないで(笑)

それが悪いと思えば、学部卒業生だけで、専門の研究サークルを作ってしまえば良い。月に一回程度、サークル費用(1万円位)を払って先生をお呼びし、講義して貰う訳。カフェでいいから…ね。

メンツが集まったら、カルチャーセンターで講義してもらう方法もあります。カルチャーセンターって何か学ぶのに、バカには出来ないですよ。クラスによるけれど、生徒のレベルをそろえれば、それなりのレベルですし。

作家さんの中には、篠田節子さんみたく、『カルチャーセンターの小説教室』出身の方だって結構いらっしゃる。モノを学ぶのに、学問修行にお金がかかる、と言うのは錯覚なんです。学びたければ、どこでだって学べます。お金がないのに、無理する事ない。論文だって、カルチャーセンターで書けばよいと思う。富裕層の恵まれた、大学院進学組に負けたくないじゃないですか、と思う。

但し、こういう方法では『肩書は取れない』ですね。でもね、学問を学ぶのだって、肩書ではなく、中身で勝負!だと思いますよ。

ちふれより

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教育費について…続編です。

えー、ブログ更新が間が空きました。読者の皆さま方、大変お待たせしました。

前回、教育費について『生活保護家庭の子はまずは実学を学ぶべき』と書きました。今回はその続編です。

今、貧困とか格差、とか言われてますよね。特に人の一生の中で大変なのが、住居費と並んで教育費。

そう、子供の進学費用です。主に大学。

大学とか専門学校の学費って大きな金額で、貧困家庭でなくとも結構負担になります。でね…

特に大学って高額の学費(時には奨学金と言う名の借金)をかけてまで、進学する意味、あるの???大学で特に不要と思われる授業って結構あるけど。

まぁ大学の場合、『学歴が取れる』というメリットがある。『○○大卒』とかね。ある一定レベル以上の名門校、一流校であれば、一流企業に正社員就職し、年収何百万のそこそこの社会的エリートの世界に入れるし…それを目指すとなれば、まだ大学進学の意味、あるわな。

でもこれは『ある一定以上のレベルのエリート校大学』に限りますよね。それ以下では意味が無い。一流企業が門戸を開いてないから。

そうじゃない場合、あんまり“大学卒”の肩書、取る意味ないんですよ。それより『実学』を目指した方が良いと思う。仕事は“実地”“実学”だから。

エリート校以外はむしろ、『専門学校化』した方が良い。その方が文科省の管轄から外す事が出来ます。外すことによって要らない授業を外すことができる。学費削減が可能になる訳です。まず要らない授業って…

一般教養、語学、体育、これらの科目って“大学”の肩書が付くと必ず履修しなければならなくなる。だけど、これらの授業って完全に“お義理”ですよ。単位取る為の“お義理”

私ちふれの卒業した音大にしたって、パンキョー(一般教養)、語学の授業のレベルの低かった事!パンキョーはそれでも先生方の中には、“専門でない、素人向けの判り易い授業”をして下さる先生もいたけれど、訳の分からない講義を垂れ流す先生(!)もいました。語学にしても同様。

第二外国語のドイツ語なんて、学生は初めてドイツ語に触れるのに『トニオ・クレーガー』の訳書購読でしたからね。全く意味が無い!

学生は始めてなんだからまずは『Guten Tag』(こんにちは)『Guten Morgen』(おはよう)から入るべきなのに。

私ちふれ、ドイツ語は別の語学学校の『ゲーテ・インスティトゥート』に通っていたので、特に困りませんでしたが。ゲーテである程度、鍛えられました(笑)

こんな授業、要らないって。学費のムダですよ、ホント。音大なんて別に『大学』でなくて良いと思ってますしね。入試科目なんてほとんど音楽の専門科目ですし。

これらの授業、削減できれば(トーゼン、先生方もリストラ)学費は自動的に下がる。要らない授業の削減です。

学費、下げる事って可能だと思いますよ。

ちふれより

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教育費というものについて…

<生活保護世帯>大学進学に給付金 厚労省検討

生活保護家庭の子の大学進学に給付金が厚労省が検討しているらしいですね。まぁ、悪い話ではない。

確かに“貧困の連鎖”貧困家庭の子の高等教育進学率は決して高くないらしいですし。中卒、良くて高卒が多いみたいです。大学進学なんて夢の又夢、なんでしょうね。確かに可哀想な話です。

安定した収入を得ている人達って大卒が多いしね(でも全部ではない!)大卒でも貧困に陥っている人、居ますよ。

この場合、目的が『大学に進学する事によって貧困から必ず抜け出す事』が出来ないと困るんですよ。何せ、生活保護家庭ですし。

高等教育によって貧困から抜け出す、と言う事。大卒でフリーター、なんて結果は困る訳です。フリーターになるのに大卒の資格は要らないし。

と言う事は、大学で学んだ専門を仕事に生かせなければ困る。所謂、実地直結、実用直結ですよ。従来の大学の学問『非実用の高尚な御教養学問』はとりあえず要らない(全く不要とは言っていませんよ)こういう学問はそもそも『王侯貴族』の『選ばれしエリート階級の』『富裕層の』ものなんです。

貧困家庭の子の学ぶものではない。貧困家庭の子が実社会に出て、それなりの立身出世も果たし、経済的に富裕層の仲間入りをしてから『高尚な御教養』だと思うんですよね。貧困家庭の子はまずは『実学』です。

進路先に『実学志向の学部』に合格できない場合、むしろ『高卒』で社会に出るのが良い気がする。最近の奨学金は『借金』だしね。人生のスタートラインで何百万の借金なんて、厳しすぎますよ。

『高卒』で叩き上げで立身出世する人生ってあるんですよ。音楽でも演歌の世界なんて完全にそうです。演歌歌手は大御所クラスは中卒(五木ひろしさんとか、森進一さんとか)中堅世代でも高卒(坂本冬美さん)です。

みんな、叩き上げで出世してる。職人さんの親方とか棟梁、なんてのもそう。又、フリーターで人生スタートして、起業するのもいい、お店持つのもいい。将来は独立系です。まぁ厳しい道だけれどネ。

そもそも、大学の学問ってね、そのままでは実地ではつかえないモノなんです。私ちふれ、音楽の世界でさんざん身に沁みました。音大で学んだ事が通じない…音大卒業後、実地の現場のステージで通用するようになるまで、どれだけ苦労したか…なんです。

そんな『使えないモノ』を詰め込まれに大学に行くのか???ですよ。ましてや貧困家庭の子が!

そして数百万円の借金も背負う…良い事なしですよ。そのまま人生転落します。必死で学んだ事が実地で行かせなくて、プライドがよじれちゃう事だってあります。

叩き上げで人生スタートして場合、非常に『才覚』が問われますよね。後は『世の中の渡り方』『身の処し方』…です。叩き上げの王道ラインの発想ではまずは、

『いかに上(上司)から可愛がられるか?』なんですが。力ある“権力者”に可愛がられるのが、とりあえず出世の道。その“力ある権力者”“可愛がってもらう相手”は自分で探すんですよ。耳と目と鼻を利かせて(笑)ソツなくゴマする感覚、処世術ってやつですね。

一応私ちふれ、これもやりましたよ。業界の端っこで。

ただ、こういうやり方だと、自分の仕事の面倒を全部、周りに見て貰うことになり、自由が利きません。自由を利かせるには“才覚で自力で泳ぐ”です。

このブログ運営も私ちふれ、私なりの“才覚”だと思ってます(笑)

みんなが大学に行くから自分も大学に行く、というのが間違っているんじゃないかな?

ちふれより

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